老人事故 (2023.3)
近年の高齢者による自動車事故の増加を受け、免許の返納を求める風潮が強まっている。80歳を超えた筆者としては、やむを得ないかなと考えつつも、なかなか車なしの生活をイメージできず、未だ踏み切れていない。そんな中で高齢者の事故のはなしを聞くと、どうしてもしっくりしない点がある。それは、アクセルとブレーキの踏み間違いという事故原因である。
私事で申し訳ないが、長年マニュアル車ばかり選んできた。実は、いま乗っている車が初めてのオートマティックなのである。それも気に入ったマニュアル車が見つからず、やむを得ずオートマで我慢せざるを得なかったというのが実情である。実は、オートマに乗り換えた直後、事故には至らなかったが、驚いたことがある。交差点で普通に発進したら、車が急にバックしたのである。
交差点で停止するような場合、マニュアルだとクラッチを切るか、その上でギアをニュートラルにする。ギアニュートラルの状態から発進するには、クラッチを踏んでギアをローに入れ、ゆっくりクラッチを上げてエンジンの回転を車輪に伝えていく。このプロセスであれば、運転車はギアを入れるという動作が求められる。クラッチを切った状態から乱暴にクラッチペタルを上げれば、いわゆるエンストを起こし発進はできない。要するに、運転者が能動的に機械に働きかけて機械は動き出す。
かつて、運転を覚えるに当たってクラッチの操作が一つの障害になっており、それを回避したのがオートマである。オートマで一時停止する場合、アクセルを離してブレーキを踏めばすむ。逆に再発進もブレーキを解除しアクセルを踏むだけである。まさに、自動車という機械と運転者である人間のマンマシン・インターフェイスが改善された。ギアもクラッチも操作する必要はない。
先述した交差点で急に車がバックしたという筆者の体験をよく考えてみると、単にギアがR(バック)に入っていたというに過ぎない。実は、交差点に入りかけて信号が変わり停止線に合わせるよう車をバックさせ、ギアがRに入ったままブレーキを踏んで停止していた。信号が青になってそのまま発進した。バックするのが当たり前である。繰り返しになるが、運転者が何らかの操作をしなければ発進できないのであれば、急にバックする事態は避けられるに違いない。
前進するつもりが急にバックしたのでは誰でもびっくりするだろう。高齢者がパニックになってブレーキとアクセルの区別がつかなくなるのも頷ける。老人の事故の原因はマン・マシンシステムに隠れていたのかも知れない。
自動車のマンマシン・インターフェイスは、いかに人間の負担を軽減し機械が代替するかという発想で進んできたのだろう。しかし一般的なマンマシン・インターフェイスを考えるには、少し別の発想が求められるようになるかも知れない。マン・マシンシステムの全体象を描いた上で、関わる人間の生き甲斐、健康維持、知的刺激、向上心などを満足させるには、人間が何を分担すべきかを考える必要があるのではないだろうか。特に、人工知能があらゆる分野で普及する時代、あらためてマン・インターフェイスのあり方に焦点を当てる必要はないか。
© Shingo Kano, 2011