インターネットが社会と価値を変革 (2012.2.20)
10月に、アップル社の共同設立者の一人で、現代の若者に強いカリスマ性を誇る、ステーブ・ジョブス(Steven Jobs)氏が亡くなりました。MITのキャンパス前の通りの敷石に刻まれたその名前の前には、花とキャンドル、そしてリンゴを供える学生たちが続きました。ジョブズは、パーソナル・コンピューターの機能を、iPod、iPhone、iPadなど、音楽プレーヤー、携帯電話、電子書籍といった個人が気楽に持ち歩くツールと結びつけることで、その可能性を格段に広げ、何よりも幅広い個人に普及させました。人々は音楽や書籍を電子情報で購入できるようになり、YouTubeやTwitterなどのサービスともリンクし、人々は手持ちのツールから自らも気楽に情報を発信できるようになりました。手軽になった動画、画像を含むあらゆる情報のやり取りは、マス・メディアのあり方も変え、人々の生活は確かに変わりました。ジョブズはデザインを含め、人々が持ちたいと思うものを提供し、その商品が多くの人の手に行き渡ってこそ、新しい技術によるイノヴェーションが可能であることを、実に華麗に見せてくれた人物だったのではないでしょうか。
iPhoneを始めとするスマートフォンは、YouTube、Twitterの他に、facebookといったソーシャルネットワークの拡充を飛躍的に促進させました。ソーシャルネットワークの代表格であるfacebookの創設者の一人であり、現在同社のCEOを務めるマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)は、「公開性」(Openness)という発想によって社会をよりよくできると考えています。彼のOpennessの基盤は、人が人と繋がることで、単一化する個人のアイデンティティーにあります。つまり個人の自己同一性が、家庭、学校、会社と、自身が属しているそれぞれの社会集団において横断的に開かれることによって、最終的に常にどの関係においても個人のアイデンティティーは同質的になると、ザッカーバーグは想定しています。そうして確立された個人は、複数の社会集団に基づく重層的なアイデンティティーから、それらを包含するより広大で開放的なネットワークに社会化されることになります。実際に、個人に普及した端末とそれを繋ぐインターネット上のソーシャルネットワーキングを含むあらゆるサービスの拡充は、従来の社会を変革する可能性が注目されます。そして、2010年から11年にチュニジアで起こったジャスミン革命、2011年の年頭のエジプト革命はそれを証明することになりました。
日本に目を向けるならば、facebookのOpennessの発想は、当初、属する社会集団によって、自意識が変化する日本社会には根付かないのではないかと、言われてきました。米国では、家庭でも職場でも、基本的にファーストネームで呼び合いますが、日本では、家庭では末子を中心に、父親は「お父さん」、母親は「お母さん」、兄・姉は「お兄ちゃん、お姉ちゃん」などと呼ばれることが多く、家庭外でも、例えば親は、会社では「部長」、「社長」などといった役職名で、あるいは子どもの学校では「○○さんのお父さん、お母さん」と子どもとの関係性を示す呼称が使用されることが一般的です。こうした呼称を一つ取り上げても、各社会集団における関係性において、人々が自己認識を変化させる日本社会の特徴を見ることができます。
現在facebookでは様々な機能を付けることで、ユーザーが自身の好みに合わせプライバシーを設定することができます。このことは、日本でも着実なユーザー数の確保につながっています。そして、実際には、使用開始とともに、ユーザー側に適応が起こり、日本人ユーザーにおいても、プライバシーの公開への抵抗感は薄らいでいるといえます。日本では家庭を軸に内と外の区別が明確にあり、日米の文化の違いで古くから言われる玄関での靴の脱ぎ着はそのことを象徴的に示していると言えますが、そうした中、facebookが日本の社会、あるいはその基本的集団単位である家族の在り方をどのように変えるかは興味深い点です。とりわけ、女性をめぐる仕事と家庭の環境の変化という観点から、周囲の聞きとりも基に、回を改めて考察してみたいと思います。