一般社団法人日本MOT振興協会

米国ボストン報告 アメリカから見た世界(植田 麻記子)

「日系人」に見る内なる国際化・グローバル化  (2012.10.5)

国際化社会とは、国家間を人・モノ・情報がボーダーレスに移動する社会と理解できるでしょう。グローバル化という表現では、主権国家の概念が薄まり、世界の有機的システムとしてのニュアンスが強調されるでしょう。しかし、いずれにしても、日本はそうしたボーダーレスに高スピードにやり取りされる人・モノ・情報による競争社会となる国際化・グローバル化の社会に出遅れていると言われています。そこで、英語教育や米国への留学生の数などが話題になります。確かに、世界の最も有効な公用語が英語である限り、英語力を身につけ、あるいは、衰退論を受けながらも現在もなお明確に唯一の超大国である米国は政治、経済、学問、あらゆる分野で主導的役割を担っており、そこから学ぶことは非常に大事です。

しかし、本来の国際化・グローバル化は実は、日本国内で既に、その歴史の上に進んでいます。しばしば、日本人の閉鎖的な感覚は「島国根性」と揶揄されてきました。今回は、実は日本の国際化・グローバル化について、「日系人」という角度から内在的に見直してみたいと思います。世界に目を向けると同時に、自らの足元に目を向けなければ、国際化、あるいはグローバル化の荒波で舵を切ることはできないのではないかと考えるからです。そして、上の世代からは上昇志向がない、あるいは内向きと叱咤される現在の日本の若者を中心に、そうした、自らの中にある国際化やグローバル化の問題に目を向けようとする動きが、しっかりと始まっていることをご紹介したいと思います。

1.海を越えた「日本人」

夏休みを利用して南米旅行に行ってきました。ブラジルのサンパウロに住む友人を訪ね、一緒に、アルゼンチンなど周辺国を旅行しました。ボストンからサンパウロまでは12時間、東京からサンパウロは24時間かかります。日本にとって確かに遠い国です。しかし、南米諸国、とりわけブラジルには数多くの日系人がいます。私自身、サンパウロでは、日系人コミュニティの方々に大変お世話になりました。そして、改めて感じたことは、ブラジルという国が日本にとって「遠くて近い国」である、ということです。サンパウロにはリベルダージという旧日本人街があります。現在では、日本に限らずアジア諸国からの移住者で賑わう東洋人街になっています。 日本政府の移民政策の背景には、第二次世界大戦以前まで深刻な問題とされてきた国内の労働力の過剰、あるいは人口増加による食糧問題がありました。移民先は、ハワイ、カリフォルニアからブラジルを中心とする南米へと広がりました。とりわけブラジルには1908年に正式に移民が開始されて以来、日本から多くの移民が渡ったのです。

サンパウロのブラジル日系移民資料館を訪ねました。ブラジル社会において、日系人はとても尊敬されています。品種改良など弛まない努力を続け、ブラジル農業への貢献を評価されてきました。その勤勉さから、教育水準も高く、日系人の学術面での活躍も評価されています。一般的に、日系人は社会的に高い地位を占めていると言われます。そして彼らの日本に対する想いは今もなお特別です。世代を経るにつれ、混血も進み、日本語教育も薄れる中、それでも家庭内での日本語の伝承、あるいは、日本文化への愛着は根強いものがあります。若い世代の日系ブラジル人は、のど自慢をはじめとするNHKの番組の放送を親、親類が見ている中で育ち、上の世代からかすかに聞き覚えた日本語で、最新のJpopを楽しんでいます。

現在、日本とブラジルの間では、89年に改正された出入国管理法により、3世までの日系ブラジル人とその家族の無条件の受け入れが認めれていており、多くの日系ブラジル人が出稼ぎのために日本に来ています。その後、日本における永住権、日本国籍を取得する者も多く、ブラジルへの日本人移民が80年代以降、減少する中、ブラジルから日本への出稼ぎはその総数を上回ると言われています。日系ブラジル人の出稼ぎに関しては、実は様々な形があります。祖国の家族の生活ために日本での収入を送金するというケースもありますが、一方で、現在では、ブラジル国内で裕福な家庭の師弟が、制度を利用して自身の親のルーツである日本に滞在し、働きながら日本語を勉強するなど、ワーキング・ホリデーに近い感覚でやってくる若者も少なくありません。実際に私の日系ブラジル人の友人は、出稼ぎで日本に行き、一年間滞在し、日本語を勉強しながら、工場で得たお給料で日本全国を旅行したといいます。彼らにとっては、お金を得るということよりも、自分のルーツである日本で過ごすということが、むしろ重要だったようです。

しかし、ブラジル在住の日系人に関しても、あるいは日本に出稼ぎで来ている日系ブラジル人についても、現代の日本社会において、あまり知られていないのではないでしょうか。そのことは、ステレオタイプ的なイメージを形成し、さらに日本とブラジルの心理的距離を広げていることがあります。例えば、日系ブラジル人の出稼ぎには、時に日本における犯罪との関係性が強調されます。しかし、現在日本が犯罪引渡し条約を提携しているのは米国と韓国の二カ国に過ぎず、実際には外国人による日本での犯罪は、出稼ぎの日系ブラジル人に特別な問題ではなく、むしろ法律の面から、別個議論されるべき問題であると言えます。そうした中、出稼ぎの日系ブラジル人の若者たちは、日本社会にありながら、同郷の日系人コミュニティを中心に生活し、日本人社会では疎外感や被差別意識を抱くことが少なくありません。自らのルーツとして日本に対する慕情や、少なからずの好感を抱いて遠く海を渡って来た若者たちが、そうした現実を前に悲嘆するとしたら、残念でなりません。

2.現代の日系ブラジル人

日本からブラジルへの移民が減る中、ブラジルから日本への出稼ぎ、あるいは移民は増加しています。例えば群馬県の大泉町は、最大規模のブラジリアンタウンがあり、多くの日系ブラジル人が住んでいます。労働力の不足を埋める形で、ブラジルを中心とする南米からの出稼ぎ労働者が数多く流入し、三洋電機、富士重工などの工場で就労しています。その人口は町全体の約一割を占めると言われています。こうした地域では、実際に現実の生活の中で、日本人社会と日系人の関係が着実に形成されています。小学校のクラスの半分をブラジル人が占めることもあり、給食にはブラジル料理が出されます。実際に、幼少期から様々なエスニスティの多様化の中で育つことは、子どもたちの意識に大きな影響を与えるでしょう。かつての日本人が抱いてきた、外国人が「ガイジン」として、ひたすらに外部のモノとして物珍しく、それゆえに恐ろしいという感覚は、薄れていくでしょう。

日本で最も国際的な都市と言われて、六本木などを中心とする東京を想定する人も少なくないでしょう。しかし、実際は、日本のより国民の生活に根深いところで進む国際化は、まさにグローバル化の問題である移民という形で地方都市やその周辺で起こっています。そうした現代を捉えた富田克也監督の『サウダーヂ』(2011年)は世界中で評価されています。先進国の経済の縮小と若者の閉塞感、そしてそこに流入する移民のグローバルな波―現在の大衆が言葉を獲得し、その存在を顕示する術として生まれたヒップ・ホップという文化によって、ゴーストタウンと化した地方都市、山梨県甲府市を舞台に、風前の灯の土木建設業者の若者、ブラジル人、タイ人を中心とするアジア人の外国人労働者たち、そこに起こる文化の衝突、差別、格差を抱えながらも共生するリアリティを描いています。ここに、現代日本のあらゆる縮図が詰まっています。富田監督は1972年生まれの39歳です。ぜひご覧ください。

3.日系人と日本人

日系ブラジル人の長年の努力は、日本とブラジル、あるいは南米諸国との間に強い信頼関係、あるいは少なくとも人的交流において特別な関係を築いてきました。移民が減少する中、また混血、世代交代が進む中、日本語教育も弱まり、日系ブラジル人はよりブラジル人としてのアイデンティティを強め、日系人コミュニティのあり方自体、問われています。しかし、近代史の中で、多くの日本人が海を渡り、過酷な環境の中築いてきたものを、日本人はより自覚的に背負うべきであり、別の言い方をすれば、もっと大切にすべきです。米国、シアトルで日系資本のスーパー、Uwajimaya(宇和島屋)の経営を成功させた日系アメリカ人二世の、トミオ・モリグチ(森口富雄)会長は、日本からアメリカに来るビジネスマンは「もっと日系人のアドバイスを生かすべきだ」と、発信します。同会長はビジネスのみならず、現地の邦人紙・北米報知(The North American Post)の発行や、日系人の高齢者福祉の観点から生まれたNPO、日系コンサーンズ(Nikkei Concerns)の運営などアメリカの日系社会でのさまざまな文化、福祉活動にも積極的に関わってきました。その森口会長は、日本からのビジネスマンが日系人をあまり尊重せずに、交流を図ろうとしないことを歯がゆく見ていたといいます。例外としてSONYの盛田昭夫氏、紀伊国屋書店の松原治元会長を挙げ、とりわけ松原氏が日系二世の財務担当者を雇っていたことで、不当な価格での不動産購入を免れたエピソードを紹介しています。

・参考資料
「もっと日系の意見を聞いてくれればいいのに」シアトルの日系スーパー、宇和島屋・モリグチ会長 JB Business, 2012/07/31
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35763

以前、ご紹介したように、現在の20代、30代の若者は他者のヴァルネラビリティ(可傷性・傷つきやすさ)にとても敏感です。それは自分とは異なる他者を尊重し、共生を図ろうとする姿勢につながります。そして、現実的な国際化、グローバル化を直視する勇気も持ち合わせています。国際化・グローバル化は、あらゆる国・地域からの人・モノ・情報がボーダーレスに行きかう世界です。流れは周辺から起こることもあります。現在、確かに、日本人のアメリカの大学への留学は減少しています。しかし、一方で多くの若者が、途上国をはじめ様々な国、地域で学んでいます。留学先の多様化は明らかに進んでいるはずです。現在、若者の間で国際化は、実際には力強く、より多様な形で進んでいます。国際化、グローバル化と言われる中、あらゆる多様性を尊重しながら、自身において重層的なアイデンティティを形成する若者の挑戦は、歴史的な遺産を引き継ぎ、様々な葛藤や軋轢を経ながらも、取り組まれています。ある意味では、特定の国が規範とならない国際社会、様々な歴史的遺産を抱える国内社会にある中心と周辺、文化間の衝突、格差、差別、そうした中での共生と自己規定の模索の中で、現在の若者たちは高度成長の中で、ややもすると見落とされがちであったものを、見ているのかもしれません。

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