一般社団法人日本MOT振興協会

米国ボストン報告 アメリカから見た世界(植田 麻記子)

大統領選挙とタウンミーティングに考える市民の政治参加  (2013.1.17)

2012年11月6日に一般投票が行われ、同日中に開票されたアメリカ大統領選は、現職の民主党のバラク・オバマ大統領、ジョー・バイデン副大統領の再選という形で決着が着きました。一般的に、アメリカでは、日本に比べ、市民の政治への関心が高いと言われます。本当にそうでしょうか。そうだとするならば、それはなぜでしょうか。日本では、12月に総選挙が実施されました。今一度、市民と政治の関係について考えてみたいと思います。今回の大統領選を身近で体験して、私が率直に驚いたのは、市民の討論会への関心の高さです。当日と翌日は、「ディベート」の話題で持ちきりになりました。まるでサッカーの試合を見るように、バーに集まって討論会の放送を見る人たちもありました。私も、友人たちと集まって、テレビを囲みました。振り返れば、当初の大方の予想通り、オバマ大統領再選という結果となりましたが、10月3日に行われた第一回の討論会後、数字は予想外に大きく動きました。ミット・ロムニー候補の攻撃に押される形で、オバマ大統領の討論が明らかに精彩を欠いたからです。
ロムニー候補はマサチューセッツ州の知事を務め、その実績は、財政の立て直しをはじめ、高く評価されていました。ボストンはマサチューセッツ州に属しているため、ロムニー候補への支持も高くなりそうですが、私の周りの若い人たちの間には、人気がありませんでした。学生は色々なところから集まっているからかもしれませんが、ボストン生まれボストン育ちの人たちも、今回の大統領選では、あまり支持していませんでした。基本的に、リベラルの強いニューイングランド地方の伝統に加え、若者層では民主党支持が強いことが背景にあります。とりわけ、ロムニー候補については、生真面目で品行方正なキャラクターが、特に若い人に、少し「つまらない」印象になっていたようです。ロムニー候補は演説下手が指摘され、遊説中に副大統領候補のライアン氏を「次期アメリカ大統領」と紹介してしまうなど、肝心な時にミスを重ね、失言の多さもあいまって、杓子定規が過ぎて、少しドジでおっちょこちょいな人と思われ、時にからかいの対象にもなっていました。 そのようなイメージを根底から覆す、冷静沈着で自信に溢れ、得意の経済政策を中心に説得力に溢れた議論を展開するロムニー候補の討論に、誰もが驚きました。またきっと何か失敗をやらかすだろうと、少し意地悪な気持ちで見ていた人も、今回ばかりはロムニー候補に圧倒されました。一方で、終始、討論の指導権をロムニー候補に取られ、うろたえる大統領に国民は不安を感じました。翌日、支持率は一気にロムニー候補優勢に動きました。11日に行われたバイデン副大統領とライアン候補による副大統領候補討論会では、ベテランのバイデン副大統領が、前回のオバマ大統領の失敗を取り戻そうと、積極的に攻勢をかけ、それに応じるライアン候補も引かない展開となりました。
バイデン副大統領は、69歳のベテランの政治家ですが、明確なリベラル路線と率直な物言いとユーモアから、若い人にも根強い人気があります。討論中も時折、ひょうきんな表情を見せ、ベテランの余裕と独自の持ち味を示しました。一方で、42歳のライアン候補の一貫して真摯で真面目な姿勢に対し、時折、バイデン副大統領が取った、よく言えばベテランの風格でかわす、悪く言えば、ライアン候補の若さを少しからかうような態度に、一部から批判も出ました。しかし、バイデン副大統領は確かに、前回の大統領の負けの幾分かを取り戻し、続く第2回討論会でオバマ大統領は盛り返し、外交問題を中心に議論するため、余り国民の関心を集めない第3回討論会が終わる頃には、支持率は再び、オバマ大統領優勢に戻っていました。ここで、改めて気づかされるのは、国民の多くが、まるでスポーツの試合を見るかのように、討論会を見ているという点です。討論会は、支持率という明確な勝敗が出るものであり、子どもの頃からディベートに慣れ親しんでいる国民は、討論会という試合の観戦方法をよく理解しています。アイデアだけでなく、両者の討論における戦略の立て方、いかに説得力のある根拠を提示して自分の案に賛同を集められるか、そして、自信に溢れた態度、相手や司会者に対する振る舞いに表れる人柄―それらが総合的に優れている人物こそ、大統領にふさわしいと、人々は考えています。そのため、それらにおいて優れていれば、たとえ支持していない候補であっても、その討論における勝利と大統領としての適正を、ある程度、客観的に認めます。
マス・メディアの姿勢も興味深いところがあります。基本的にアメリカのメディア、とりわけ新聞各紙は、大統領選において、いずれの候補者を支持するかを明確にします。そこには、中立報道、あるいは客観報道はあり得ないという前提があり、国民もそれを理解した上で、各紙の意見を参照します。メディアのそうした姿勢は、国民に政治的な思考力を強くさせていると思います。国民は、報道やキャンペーンに対して、それらが常に政治的な意図を持っていることに自覚的です。選挙の翌日、4 歳の女の子が「私は、ブロンコ(バラク)・オバマとミット・ロムニーにもう、うんざりなの!」と泣き叫ぶ映像が、彼女の大統領の呼び間違いの可愛らしさも合いまってYoutubeで話題になり、ニュースでも取り上げられました。連日のネガティブ・キャンペーンに子どももすっかり辟易してしまったようです。
確かに、国民の討論会への関心も高く、その結果に応じて、支持率も敏感に変動していることで、アメリカの国民の政治意識の高さと、それが実際の政治にきちんと反映されている印象を与えています。しかし、若者の足が投票場から遠ざかっている現状は、日本と共通しています。オバマ大統領は、間際まで、各地を回り、若者に投票を訴えました。第2回の討論会で、支持を取り戻したオバマ大統領の優勢が濃厚となる中、若者が重要な支持基盤であるオバマ大統領は、彼らが実際には投票しないことを危惧したと言われています。学生を含め、若者は移動が多い一方で、住民票を移していないため、選挙が煩雑となるという背景もあるようです。市民の政治意識に関しては、もうひとつ、こちらで経験したタウンミーティングについてご紹介したいと思います。ニューイングランドでは、タウンミーティングが盛んです。私はボストンから少し離れたウェルズリー(Wellesley)という町で開かれているタウンミーティングに参加させて頂く機会を得ました。タウンミーティングは、アメリカ全土に定着したシステムではありません。一般にニューイングランド6州と言われる、コネチカット州、ニューハンプシャー州、バーモンド州、マサチューセッツ州、メイン州、ロードアイランド州で行われている地方自治です。ニューイングランドでは、植民地時代から、タウンミーティングによる直接民主制の地方自治が行われてきました。マサチューセッツ州では、人口6000人未満の町は直接制を採り、それ以上の規模の町では憲章を変更することで代表制を選択することも可能です。
タウンミーティングでは、主に街の予算の使い方について、審議、決定されます。財政に関する詳細な報告書も作成され、参加者はそれらをもとに、財政運営を行っています。町の学校で開かれるタウンミーティングに、人々は仕事の後に集まります。報酬はありません。ですが、人々はタウンミーティングの伝統を、とても誇らしく感じているようでした。会場はとてもオープンで、私のことも、日本から、見学したいと若者が来てくれましたと紹介して下さいました。私が参加させて頂いたのは、ちょうど年度の定例の会で、全委員会が一同に会した、大きなものでした。委員会の代表から報告が行われ、賛否の決は拍手の大きさで決められます。委員会の代表を引き受けるということも、市民からの信頼と、優れた市民としての実績の証であり、とても尊敬されているようでした。
一方で、ここでも、若者の多くが小さな街を離れ行く中で、タウンミーティングの高齢化が進んでいます。最近、参加を決めたという高校生のメンバーに会うことができました。若い新しい参加者に、人々も喜んでいました。タウンミーティングは、実際、単に町の予算の運営を行うだけでなく、町の人々の交流の場として機能しています。学校を会場に行い、定例会の前には地元の高校生によるブラスバンドの演奏があり、また会の合間には高校生たちがチャリティーための模擬店を出しており、スナックやジュースが売られていました。世代を超えて町の人々が会し、また若者たちには自然にタウンミーティングへの理解を深める場となっているようでした。今回は、大統領選の討論会、そしてタウンミーティングを取り上げましたが、その根底にある市民の政治への関心の源泉は、第1に、自分たちの社会がどうあるべきか、それを治めるのに誰がふさわしいか、それを決めるのはその社会の構成員である自分たちであり、また自らはその資格があることに誇りを感じるという、アメリカの歴史に流れる義務(obligation)と権利(right)の伝統に見つけることができるかもしれません。

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