【第6回】 製薬協知財支援プロジェクトの発足(2011.9)
日本製薬工業協会(製薬協)が実施した「知財支援プロジェクト(前回紹介)」の活動は、このコラムのテーマである「ライフサイエンス分野における知的財産戦略」と密接に関連するので、今回と次回の2回に分けて少し詳しく話をしたい。
製薬協は、研究開発志向型の製薬企業68社で構成される任意団体で、互いに共通する諸問題の解決や医薬品に対する認識を深めるための活動、国際的な連携など多面的な活動を展開しており、製薬産業の健全な発展が国民の福祉に寄与するとの理念から、特に政策提言等の活動にも力を入れて取り組んでいる(http://www.jpma.or.jp/)。知財支援プロジェクトの母胎となった知的財産委員会は、知的財産立国の実現を目標として、従来から関係省庁および他団体等と連携・協調し、積極的な政策提言を行うとともに、ライフサイエンス分野における知的財産諸問題への理解促進のための情報発信なども行っている。
ヒトiPS細胞については、2007年11月20日に、京大の山中教授とウィンスコンシン大のトムソン教授からそれぞれ論文が発表されているが、京大側から製薬協の知的財産委員会の主要メンバーにiPS細胞特許の出願方針についての相談を受けたのは、2008年春のことであった。
知的財産委員会のメンバーが、京大の出願実態について話を伺った結果、典型的な日本型ドメスティックパターンで出願されていたことが明らかとなった。ライフサイエンス分野において、グローバルな知財戦略を展開してきた製薬協の知的財産委員会のメンバーにとっては、この大発明の出願が典型的なドメスティックパターンで行われていたという事実に大きな衝撃を受けた。
iPS細胞技術は、製薬企業の研究開発にどのような影響を与えると考えられるかと、今でも聞かれることがあるが、直近の5年であれば、それほど大きな影響を与えることはないであろうと考えられている。
このような状況は2008年春でも同じであったが、製薬協のメンバーは、将来、無限の可能性を秘めている基盤的研究であるiPS細胞研究において、製薬企業にとっては常識的なグローバルな知財戦略が行われていないということに、強い危機感を持たざるを得なかった。
このことが、知財支援プロジェクトの主たるドライビングフォースになったのである。
山中先生のように知財に対して高い意識をお持ちの研究者の研究成果の出願であっても、もし知財戦略の観点から問題があるとすれば、適切な知財を得ることはできない。この状況を放置すれば、多くのiPS細胞研究の成果の知財は、悲惨なことになる可能性が高い。
そのような危機意識が、製薬協に「知財支援プロジェクト」を立ち上げさせたと言っても過言ではない。
知財支援プロジェクトは、1年間でiPS細胞関連研究を行っている主要な大学・研究機関をすべて訪問し、研究者と知財部門の担当者に対し、製薬企業が実践してきているグローバルな知財戦略の基本的な考え方などを紹介した上で、「iPS細胞関連技術のように、研究のアイデア・コンセプトが非常に重要な場合は、米国仮出願を利用し、米国流にコンセプトの具体的な内容を広い権利範囲とし、そして、スピーディーに出願することが望ましい」とのアドバイスを行ってきた。
iPS細胞関連研究を行っているような最先端のライフサイエンス施設34ヵ所の大学・研究機関で、米国仮出願を戦略的に利用した経験があったのは、1大学のみであり、また、ライフサイエンス分野の知財担当者がいたのは、3施設のみであった。ほとんどの大学・研究機関では、研究者と知財部門の担当者の双方から、「初めて聞く話だ」あるいは「考えたこともなかった」との反応が示された。
iPS細胞関連研究で、どのような出願が行われているかは、特許協力条約(PCT)に基づいて世界知的所有権機関(WIPO)に出願された国際特許出願(PCT出願)で傾向を見ることができる。
iPS細胞関連研究の出願を調べた結果、米国の大学などからの出願は、そのほとんどが米国仮出願を利用していた。それに対して、日本の大学などからの出願は、大多数が日本出願に基づくもので、米国仮出願を利用したものはほとんどなかった。
また、山中先生の出願は、初期のものを除いて、ほとんどが米国仮出願を利用しているが、仮出願を利用し始めた時点では、米国の大学などが行っているように、コンセプトの具体的な内容を請求項として記載した出願の形式は、採られていないように見受けられた。
日本の大学などのPCT出願は、ほとんどが日本出願を基礎としたものであることから、これらの出願は、研究の具体的な内容とそれを実際に証明したデータとが揃った、いわゆる日本流の出願になっていると見受けられる。
一方、山中先生とほぼ同時期にヒトのiPS細胞の樹立に関する論文を投稿したWisconsin大学のThomson教授は、iPS細胞関連研究の国際出願を行っているが(WO2008/118220)、この出願では、当然、米国流の出願戦略を採用していることを垣間見ることができる。
Thomson教授は、2007年10月9日に、ヒトiPS細胞の樹立に関する論文を投稿しているが、その半年以上前の2007年3月27日に、最初の米国仮出願を行い、引き続いて2007年9月25日と論文発行の前日の11月29日に米国仮出願を行った上で、2008年3月21日にこれらの仮出願に基づく国際出願を行っている。
最初の仮出願は、単なる当たり実験のような実施例が2例記載されているだけであるが、請求項は32もあり、そのうちの16は国際出願の請求項と実質的に同じものとなっている。Thomson教授のように、論文投稿のはるか前の段階で、研究コンセプトの具体的な内容を請求項として仮出願を行うのが、米国流の出願戦略の基本である。
iPS細胞関連の研究のゴールのひとつは、再生医療関連になると想定される。
日本では、大手を含め製薬企業のほとんどは、まだ再生医療に本格的には取り組んでおらず、また、再生医療の実用化に関わる医療環境のさまざまな日本的諸要因等で高いハードルがあり、日本がこの分野で先頭を切ることは容易でない。
従って、現実的には、欧米、特に米国で実用化された技術が日本に入ってくるというシナリオが想定されるが、このような基盤技術の米国における実用化では、強い特許の存在が必須となる。2008年春の時点では、多くの日本の大学・研究機関が、iPS細胞関連研究を広範に展開しようとしていたが、京大でさえもグローバルな知財戦略が、実践されていないとなると、他の大学・研究機関の研究成果はどの様な状態であったのであろうか。
製薬産業は、日本の大学・研究機関が、企業が行うことのできない基礎的な研究や基盤的技術の研究を高いレベルで展開し、それらの研究成果についてグローバルな強い知財を取得し、企業ニーズに応じて適切な対価で利用可能とすることが、産学連携の真の望ましい姿であり、産業の発展にも国民の健康福祉・生命維持にも資するものであると考えている。
iPS細胞関連研究について言えば、この分野の基礎的・基盤的な研究は、疾患の理解に役立つことは明らかである。iPS細胞関連研究は、全世界で激烈な競争が行われており、日本の大学・研究機関の優れた研究成果が適切に保護されるということが、大学のみならず産業界にとっても重要であると考えている。
このような現状から、知的財産委員会は、iPS細胞関連研究の知財戦略について政策提言を行うべきであるとの結論に達し、iPS細胞知財戦略コンソーシアムを構築、国家的な課題としてオールジャパン体制での知財支援を行うべきであると製薬協理事会に提案した。
この提案を受け、2008年4月24日に開催された、厚生労働省・内閣府(科学技術政策担当)・文部科学省・経済産業省の4大臣と製薬企業大手5社の社長・会長が出席する「第1回革新的創薬等のための官民対話」の場で、製薬協長谷川副会長から、「iPS細胞関連の研究は日本発の世界的なものであることから、その研究成果の知財戦略をオールジャパンで支援するため、製薬業界が人材を提供し、国が資金面等で支援を行う“iPS細胞知財戦略コンソーシアム”を立ち上げ、それを核とする知財のオールジャパン支援体制を構築する必要がある」との緊急提言を行った。
この提案はその場で了承され、2008年6月18日に開催された知的財産戦略本部会合でも福田首相の出席のもとに承認されたが、実現に向けた検討を重ねるうちに、種々の要因で製薬協が想定していた形では実現できないことが明らかとなった。
このような状況の中、製薬協の意思決定機関である常任理事会(外資系の企業を含む13社で構成)は、「日本発のノーベル賞級の発明であるiPS細胞関連の研究成果が、適切な知財として結実することを製薬企業の知識・経験を活用して支援することは、わが国全体にイノベーションをもたらし、製薬協の目指す社会貢献の意味がある。したがって、知財支援を行うという当初の構想を断念することは適当ではない」との結論に達し、13社の自発的な拠出金により、1年間の時限プロジェクトとして、製薬協単独で「知財支援プロジェクト」を発足させることになった。
このような経緯で発足した知財支援プロジェクトは、省庁を超えて、iPS細胞関連研究を行っているすべての大学・研究機関を訪問し、グローバルな観点からの知財戦略についてあらゆるコンサルテーションを行うことから、当時、製薬協全体の知的財産顧問であった私をリーダーに、また製薬協知的財産部長の長井省三をサブリーダーにして、製薬企業の知財部門OBを拠出金で採用、製薬企業で培われた知識・経験を最大限活用した知財戦略、特に、米国での権利化に重点を置いた知財戦略について支援活動を行うべく、2008年11月に発足・活動を開始した。
次回ではこの活動の総括をお届けしたい。
© Hiroshi Akimoto, 2011