【第4回】 日本の特許はガラパゴス
● 日本の特許は125年の長い歴史
日本の特許制度は、1885年(明治18年)に専売特許条例が制定された時に始まった。初代特許庁長官は高橋是清翁。彼は、後に総理大臣になり、「ダルマ宰相」と呼ばれるほど、人気の高い大物政治家になった。
明治18年と言えば、明治維新から間もない時であり、内閣制度が発足した年。明治憲法ができる4年前であり、特許が国作りの一つの柱と位置づけられていた。
当時の国家戦略は、「坂の上の雲」を目指した「殖産興業」。発明協会も設立され、国内の発明と特許取得が奨励され、大正、昭和と日本の工業化に大きな貢献をした。
● 日本は特許を活用して、米欧へのキャッチアップに成功
第2次大戦後は、米欧から基本特許を導入するとともに、同時に日本独自の技術開発も進め、「世界一の特許大国」となった。欧米の基本特許から国内産業を守る狙いから、日本の特許は「遅い 狭い 弱い」という特徴を持っていた。これが当時の国益だった。
● 昨日の強みが今日の弱み
しかし、従来の欧米の基本特許から国内産業を守るキャッチアップ型特許戦略の強みは、自ら先端を切り開くフロントランナー時代には弱みに変わった。
残念ながら、特許もガラパゴス現象が起きてしまった。
(1)日本は国内出願が大部分で外国への特許出願が少ない
国内で出願し外国にも出願している海外出願比率は、欧州62%、米国51%に対し、日本は24%に過ぎない。(特許庁行政年次報告書2009年度版)
(2)仮出願を認めないので国際競争に不利
米国では研究が進み、論文を発表する段階になれば、データが十分揃わなくても論文の状態での仮出願が認められる。仮出願から1年以内に本出願すれば、仮出願日が出願日になるので、日本より実質1年早く出願日を確保することができる。
(3)審査が遅い
日本の特許審査が早くなったのは事実。
しかし、それは審査請求から着手までの審査待ち期間のことであり、出願から最終処分までのトータル期間は、62カ月かかっており、米42ヶ月、EPO(欧州特許庁)42カ月より遅い。
日本の審査官は優秀で、特許1件の審査は平均わずか1日で済む。1日の審査を受けるために、62カ月も待っているのは社会的に大きな無駄だ。
(4)特許権の範囲が狭い
米のように研究コンセプトに基づいた出願を認めないので、権利の範囲が狭い。日本では基本特許が認められない。
(5) 特許権の効力が弱い
裁判所で特許が無効とされ、特許権者の権利が認められないことが多い。
(6)特許分類が日本独自
日本はコツコツと特許の技術分類(Fターム)を独自に進めてきたが、米欧が共同分類にすることを合意したので、国際的に取り残されてしまった。
(7)外国から日本への特許出願が少ない
これらの結果、日本の特許制度は外国企業にとって魅力がなくなり、海外からの出願件数は、米22万件、中国10万件、EPO7万件、韓国4万件に対し、日本は6万件に過ぎない(2008年)。